最高顧問 斉藤守弘(世界的発明はこうして生まれた)

最高顧問
斉藤守弘 Morihiro Saito

守弘は、昭和40年(西暦1965年)学習院大学法学部を卒業後、我が社(当時は協同ゴム工業株式会社)に入社する前の4年間ほど、同じ業界の岡山ゴム興業株式会社(現株式会社岡山)で修業をしておりました。

世界的発明はこうして生まれた

それは何気ない一言から始まった

ラバーブッシュの開発は、岡山ゴム社での修行時代、営業担当をしていたある農林機器メーカーのお客様が呟いた「刈払機の管に入っているベアリングなんだけど、もっと安価で取り扱いが簡単な物はないのかなぁ。」という何気ない一言がきっかけでした。

刈払機は、エンジンの回転を先端の刃物に伝達させる為に、アルミパイプ(外管)内部に装備された、長さ1,500mmほどのφ7mm(或いはφ8mm)のステンレス製ドライブシャフトが先端のギアケースに連結されている構造になっておりますが、その1万回転近いドライブシャフトの振れを抑える役割を果たしているのが、金属製スリープをゴムで覆った「ラバーブッシュ」です。ラバーブッシュは通常1台の刈払機に5個内蔵されています。

あのノウハウがベストセラーを生み出した

ラバーブッシュが市場に出るまでは、高価なニードルベアリングが使用されておりましたが、守弘が開発したこのラバーブッシュの登場により、半分以下のコストダウンを実現する事ができました。

当時、我が社はオイルシールを傘下のゴムメーカーに委託製造してもらい、商標を「KYODO OIL SEAL」として販売していました。オイルシールは、回転軸の軸受として多分野に使用されており、特に回転部分に使われる潤滑油の密封や、異物の進入を防ぐ役割を果たします。使われるゴムも、長時間の使用に耐えなければなりませんので、優れた耐油性が求められます。

工業用ゴムの材料というものは、各ゴムメーカーが、JSR(旧日本合成ゴム株式会社)や日本ゼオン株式会社から購入した基本原料に、独自のノウハウにより複数の薬品類を50%程度配合させる事で生産用材料として完成させます。その点、商品名と番手を指定して材料メーカーから購入するプラスチック材料と比べて、ゴムは繊細で取扱いが非常に難しく、手間の掛かる材料なのです。

又、ゴムは、成形時には図面通りの寸法で作られたとしても、その後使用されているうちに収縮をしたり、膨潤したりする事があります。その為、そのゴム部品が使われる目的、環境、条件をしっかりと把握したうえで材料配合をしないと、市場で使われて数カ月後、時には数年後に問題が発生してしまう事があるのです。 特に、重要部品であるオイルシールメーカーは、実績があり信頼される企業でなければなりません。

こうして、オイルシール分野において我が社が築き上げてきたゴムのノウハウが、守弘によるラバーブッシュの発明の基盤となっていると言えます。

その情熱を支えたものとは

さて、岡山ゴム社での修業を終え、我が社に入社した守弘の脳裏には、あのお客様の一言が鮮明に残っていたそうです。

「刈払機の使用時間は、プロだと2、3年で使い倒してしまう。今当たり前の様に刈払機に使われているベアリングは、実は過剰スペックではないのか。きっともっと巧いやり方があるはずだ。僕はゴム屋だ。よし、やってみよう。」
思い立ったら吉日、守弘28歳の時でした。

基本構想は、摩擦抵抗が少ない銅系をドライブシャフトの軸受とし、その銅製ブッシュをゴムで覆う事で振動を吸収できると考えました。又、今までのベアリングは余りにも寸法精度が高い為、アルミパイプ内の定位置に5個圧入するのは相当神経を使う作業でありましたが、ゴムであれば、その弾性を生かしアルミパイプ内に圧入するにも容易になると考えました。それでも、その時はまだ技術的な知識も十分でなかった守弘が、この基本構想まで辿り着くのには1年も掛かりました。

「人生で運気、転機は絶対に見逃さない。法学部出身で確かに機械に関しての知識は乏しかったが、アウトローとして培った様々な経験が、必ず、周りを驚愕させるアイデアを生み出すはずだ。」若き日の守弘はそう信じて諦めなかったそうです。

又、守弘夫人の実家が技術系一家で、日大理工学部出身の義父から機械や設計の技術的アドバイスをもらえた事も大きな助けとなりました。

守弘いわく、「経済や法律は、どう考えても曖昧な部分が多い気がするが、その点、機械というものは単純に言ってみれば1+1=2で回答は1つであり、自分にとっては、勉強すればするだけ頭に入っていった。」と振り返ります。

ブッシュの材質は、義父のアドバイスを参考に摩擦抵抗が少ない真鍮を選定し、真鍮パイプの丸棒を二次問屋から仕入れてきて、社内の旋盤で、内径7.1mmに加工して試作品を作りました。このブッシュを包み込むゴムの材質は、耐油性に優れたNBRを選定し、ブッシュより内径を0.5mm小さくしてブッシュに圧入する事としました。試作用のゴム板を調達したのは、林造名誉会長が創業当時一緒に築いた山崎ゴム化学株式会社であり、この山崎ゴム化学は、守弘が中学の頃に林造名誉会長から「強制的に」10日間アルバイトをさせられた気心の知れた会社でしたので、この試作用ゴム板材の配合にも協力を惜しまなかったそうです。

作図にあたっては、「僕は図面を書く能力はまだまだ初歩であったが、義父から教えてもらった設計技術と、この頃の何でも覚えようとする若い力が原点となり、ドリフターを使って自分で書いた。」そうです。そして、守弘自ら書き上げた図面の製品欄には「ラバーブッシュ」と入魂しました。

我々の存在意義とは

試作品の評価テストに協力してくれたのは、我が社が創業当時からのお客様で、今なお70年以上のお付き合いをして頂いている現ハスクバーナ・ゼノア株式会社の前身、富士自動車の技術部の方々でした。何度も何度も試行錯誤を繰り返す2年の間、守弘の情熱を感じ取り、親身になって力を貸してくれたそうです。そして開発に取り掛かってから苦難の3年の後、遂にラバーブッシュが完成しました。守弘31歳、営業課長として大きな一歩を踏み出した瞬間です。

「どうして特許を出さなかったのですか?」との質問に、守弘は、「あれから40年近く経ち、今では当たり前の様に世界中で使われるラバーブッシュだが、当時はこんなもの特許になる様なものでもないだろうと考えた事もあるが、やはり、こういった開発は、自分達だけがその利益を享受するのではなく、世界中の誰にでもに使ってもらう事で、業界が発展し自社の利益として返ってくるはずだとの考えが基本にあった。」と、和やかに答えてくれました。

会長斉藤守弘は、こう締めくくってあります。

「どんな逆境でも跳ね返す気持ちが必要だ。そして努力、努力。必ずチャンスは誰にでも何回かは訪れる。それを感じたら突っ走るだけだ。」

確かに、ラバーブッシュの様な構成部品は、人目に付く事も少なく華やかな商品でもありません。それでも、お客様の何気ない一言を拾う好奇心、何としても作り上げるという情熱、研究開発を支える技術力が「良い部品」を生み出し、こういった1つ1つの部品が結晶となり、「良い商品」を生み出すのだと改めて感じました。

社会にとって我が社「協同」はどういう存在であるべきか、自分達の歴史の中にそのヒントが隠されておりました。